特定非営利活動法人 古仏修復工房

古仏修復工房は文化財の修復を通して日本の文化を守り、後世に伝える活動をしています。


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1.2008年 集落管理 菖蒲沢薬師如来 江戸時代



菖蒲沢薬師堂に関する伝承・伝説など

1.菖蒲沢薬師堂に関する「伝承」について
  
地元の伝承によれば、菖蒲沢薬師堂は集落にある「筑波山不動院東光寺」の別院との事で、大同二年(807)奈良・法相宗の徳一法師の建立とされています。
本堂の東光寺をはじめ山門・鐘楼・庫裏等の堂塔、貴重な文献などがありましたが、正保三年(1646)の火災で焼失し、元禄九年(1696)に再建された堂宇も、天保十年(1839)の山火事で類焼し、わずかに難を逃れた薬師如来像と仁王像一対(市文化財指定)は、辛うじて村人の決死の努力により無事運び出す事が出来ました。
その後、薬師如来像と仁王像は、天保十三年(1842)に規模を縮小して再建された現在の薬師堂に安置されました。
菖蒲沢の薬師は「筑波四面薬師」の一体とされています。「筑波四面薬師」とは、他、小幡十三塚・山寺の薬師、真壁・椎尾の薬師、新治・東城寺の薬師で筑波山を東西南北でお守りする事から、古くから多くの人々の信仰の対象になっていました。
薬師如来は時代的には室町期の作と推察されますが、作者や由来等については不明のままになっています。


2.薬師如来像に関する「伝説」について
  
鹿島郡汲上村汲上浜(現在の鉾田市汲上地区別所釜海岸近く)に、大変正直な漁師が住んでいました。ある時、漁師がその日の糧に網を打っていたところ、偶然にも、薬師如来像を海から引き上げたそうです。
その夜、漁師の夢枕に薬師様が現れ、「国中を見渡せる西の方に行きたいので連れて行っておくれ」と言われ、夢からさめた漁師は早速、薬師様を背負って西に向かって歩き出しましたが、僅か6p足らずの仏像なのにその重いこと重いこと。
漁師の重い足取りを見て、薬師様は「青龍大王」の力を借りて夜空を飛んで、山並みの続く岩山の頂に「よいとこさ」と降りたところ、その際「薬師如来」は「良い処」と聞こえたので、岩石に立って七日七夜、光明を発しました。それを見て、すぐに漁師と村人は急きょ船形のお堂を建て安置したそうです。
後年、菖蒲沢桑柄山の麓に、村人が堂宇を建立し、東光寺と名付けたと言われています。当時の本堂並びに薬師堂は「茅葺き屋根」で、その茅は汲上村からの寄進で葺いたと伝えられています。
また、現在の安置される薬師如来像の中に、実は、その時の薬師如来が納められているといわれています。(※不詳)


3.修理の経緯

茨城県石岡市菖蒲沢の薬師堂は、古くは筑波山を囲む4体の薬師如来…筑波四面薬師の一体として、多くの信仰を集めながらも、現在では、誰も住んでいない廃寺となっています。管理に関しては、兼任の住職もなく、完全に、地元の36戸ほどの小さな集落のみで、管理されています。

今回、仏像の修理の経緯としては、まず、お堂が雨漏りし、崩れかかってきたという事で、お堂の修理が決定したところから始まります。
それに至るまでも、長い経緯があるのですが、まず、お堂自体がかなり大きい建物であること。また、細い登山道を15分ほど登ったところにあるため、重機が入れないことから、修理にも800万円程度の見積もりだったそうです。これを36戸程の小さな集落では、出すのが不可能だと言うことで、新聞に取り上げてもらい、寄付を募ることにより、また、それまでの積立金を取り崩し、地元民が総出で、出来る作業は手伝うと言うことで、なんとか、費用を捻出し、2007年の12月末にお堂の修理が無事に完了しました。

次に、堂の本尊…総高3m弱の大きな薬師如来ですが、これが、崩壊寸前にまで壊れていた事もあり、修理できないかという話になりました。
地元でこれ以上、負担するのはかなりきついという話も当然出ましたが、なんとか、修理しないと、可哀想だという気分で一致し、仏像を修理することもひとまず、決定しました。修理に関しては、非営利活動ということで、格安にて、古仏修復工房で請け負うことが決定致しました。ただし、巨大な仏像であることから、材料費だけで、数百万を超える予定です。
幸いなことは、この薬師如来は石岡市の指定になっているために、一部、補助金が下りる可能性もあったため、他、助成団体に助成申請をしつつ、引き続いて、修理のための寄付を集めている状態です。
廃寺になり、つぶれてしまったお堂の仏像文化財は、多くの場合、地元の方々で管理されますが、こういった巨像の場合、多くの人に援助頂かないと、難しい現実があります。
日本の文化遺産を一つでも多く、後世に残していくために、援助をよろしくお願い致します。




菖蒲沢薬師 修理作業報告書


「菖蒲沢薬師堂 薬師如来坐像」


修理完了写真



修理前写真



【事業概要】
1.名称  :木造 薬師如来坐像
2.員数  :1躯
3.所在地 :〒315-0146 石岡市菖蒲沢330-8 
4.安置場所:菖蒲沢薬師堂
5.管理者 :菖蒲沢薬師保存会

【形状】
菖蒲沢薬師堂の本尊。内衣、覆肩衣上に衲衣をまとい、左手を膝上に置いて第四指を曲げ掌上に薬壺をのせる。右手は曲げて前方に出し、掌を前にして立て、右足を上に結跏趺坐する。

【法量】
<修理完了後>
像本体:像高   148.cm/最大幅  118.0cm/最大奥 102.3cm
光背 :光背高  173.0cm/最大径  94.0cm/最大奥  14.0cm
台座 :台座高  94.0cm/最大幅  170.0cm/最大奥 138.0cm
総高(台座底〜光背先端): 267.0cm 
 

【品質構造】
 木造(檜材と思われる)、寄木造、漆箔、玉眼、差し首。頭部は前後左右の四材で剥ぎ寄せる。主要体幹部は前三材、後三材を剥ぎ合わせ、さらに三角材も含めた両肩外側部を前後に三材剥ぎ寄せる。両袖口、両手首先、別材。膝前は上面一材と下面二材、さらに右側部に一材と変則的に剥ぎ寄せる。裳先は別材。

【損傷状況】
・本躰
ア)頭部の割れ。
イ)部分的に接着がゆるみ、部材が外れ落ちている。
ウ)部材の亡失。(※両手指先、像底一部、薬壺、白豪、肉髻珠など)
エ)ネズミによる害。(※ネズミに開けられた穴、ゴミなど)
オ)両手首が接合できない。
カ)部分的な剥落。

・光背
ア)亡失。
 
・台座
ア)ほぼ全ての部材の接着が外れている。
イ)鉄カスガイが錆び、部材を傷めている。
ウ)部材の亡失。(蓮肉の一部、各框の飾り部分、下框の飾り金具など)
エ)一部部材が適正な位置にない。
オ)全体の強度不足。
カ)全体に漆が剥落している。

【修理基本方針】
 歴史的な価値を損なわない文化財修理を基本とし、後世に像を伝えていくために必要な処置を施す。

【修理仕様】
・本躰
ア)頭部の割れは接着剤で再接合する。
イ)ゆるんでいる部材は外し、再接合する
ウ)欠けている箇所は新たに造る。
エ)ネズミにより開けられた穴はふさぐ。
オ)両手首には新たにホゾを造る。
カ)剥落止めを施す。
キ)修理箇所、新補箇所はすべて古色仕上げとする。

・光背
ア)光背は新たに造る。(※輪光背)

・台座
ア)鉄釘、鉄カスガイはすべて除去し、完全に解体する。
イ)再接合する。また、基本的に部材と部材の接合にはホゾを入れ、強度を高める。
ウ)亡失箇所はすべて新たに造る。
エ)部材は適正な位置に戻す。
オ)半丈六の仏像を安置するには強度不足のため、中桟を入れ補強する。
カ)修理箇所、新補箇所はすべて古色仕上げとする。

※台座は移動の可能性も考え、@蓮肉部、A蕊〜敷茄子、B隅足〜反花の3箇所で外すことができるようにした。
【参考】
・全体
@修理完成写真 本体/光背/台座
A修理前写真  本体/台座(上)/台座(下)
B修理図解   本体/光背/台座

・本体
C頭部の再接合/頭部の割れ
D部材の再接合/ゆるんでいる部材の取り外し
E薬壺の新補/白豪、肉髻珠の新補
Fネズミ害
G両手首取り付けのためのホゾ
H剥落止め風景
I古色風景

・光背
J光背制作/漆下地制作

・台座
K解体写真1、解体写真2、解体写真3、解体写真4
L解体風景
Mホゾによる接合
N亡失箇所の制作 飾り/金具
O部材の組み上げ
P補強1、補強2、補強3
Q古色下地/古色箇所
R修理銘札

・墨書
S薬師如来胎内墨書

【所感】
菖蒲沢薬師如来は、もともと徳一上人によって創建されたという東光寺の仏像で、現在は菖蒲沢地区の菖蒲沢薬師堂で管理されている。本尊の薬師如来坐像の他、同時期の作と思われる脇侍像と十二神将の一部が現存している。
 
半丈六の大きさのためか、薬師如来本体、台座、ともに材の剥ぎ寄せ方が変則的で複雑。特に台座の蓮肉部分などは比較的小さな材を数多く剥ぎ寄せている。推測するに、良材の入手に苦労したのか、限られた木材で製作したのかもしれない。とはいうものの、像、台座ともに全体に麻布を貼り、丁寧に仕事をしている。

薬師如来本体は今までに部材を外した痕跡がなく、今回が初めての修理となる。また、指は欠けているものの当初の両手先が残っていたのは幸いであった。左手には薬壺をのせていた痕跡も確認できた。
台座は中桟がほとんどない中空の構造であり、もともと仏像を支える構造にはなく、重量に対してかなり弱かったことが想像できる。下框などには幾つか大きな割れが入っており、構造的な欠陥から大きく壊れたらしい。全体に部材の取り付け位置が間違っていたり、多少の補強を施した痕跡があることから、推測するに、江戸時代に大規模な修理を受けていると思われる。もっとも、それも充分なものではなく、今回の修理前には蓮肉や框部分を針金で巻いて簡易的な補強を施してあった。
大像の場合は、どうしても台座の老朽化や強度不足が問題になることが多いと思うが、
今回の修理では、特に台座の補強を中心に作業を進めた。修理完了後は経年変化で接着と釘の効力が切れたとしても、台座の中に入れ込んだ構造材で、仏像を支えることが可能なはずである。

光背に関しては、新たに製作したものの、初めは須弥檀から天井までの高さが約2m54cmしかなく、充分な高さを得ることができなかった。その後、修理にあわせて、天井を約20cm上げたため、約272cmの高さに合わせて、光背の高さを調整した。本来であれば、少なくとも3mの高さが必要であると思われる。現在の薬師堂は天保十三年(1842年)の再建で、元の大きさよりも一回り小さく再建されたお堂であるとのことだが、仏像の総高からもそれが裏付けられると思う。

今回、新たにわかったこととしては、修理の際に見つかった墨書きから、貞享四年(1687年)に東光寺二十九代目別当 寛泉によって建立された像であるかことが判明した。制作者は京都烏丸大仏師の松崎治兵衛、勘兵衛、長兵衛で宗運の弟子であるという。今のところ、松崎治兵衛、他二名作の仏像は他には知られていないと思われる。また、宗運が誰であるか詳しいことはわからないないが、栃木県、高根沢町の指定文化財の中に京都、広瀬宗運作の延宝八年(1680年)の十一面観音坐像がある。同一人物であるかどうかは不明だが、年代的には非常に近い。江戸時代の仏像の研究が進むことを期待したい。
 

※菖蒲沢薬師如来については拝観可能です。
見学方法については茨城県石岡市の教育委員会にお問い合わせ下さい。




1.2008年 修理補助にかかる収支報告書

寄付総額   476000円
使用金額   569846円

2007年からの繰入金 372342円
残額      278496円 

使用金額内訳
@管理費…50462円
光熱費/通信費

A事業費…519384円
菖蒲沢薬師如来の修理費用の一部に充当しました。




 

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